『2年』という長い調停中、モラ夫の考えから脱出すべく、モラハラをする側、される側の心理を分析しました。
その中で、モラハラ被害者には、「私さえ我慢すればいい」と思い込み、モラハラを我慢してしまうという共通の心理があることに気づきました。
タイトル通り、それは間違いです。
このタイトルの真意とは?
よくあるこの思い込みを変えるには?
対処法はモラ夫に通じる?
順を追ってご紹介していきます。
- 「私さえ我慢すればいい」は、おごり。
- 「可哀想な私」は、何かを訴える手段として選ばない方がいい。
- 対処法 ①「可哀想な私」になるのをやめる意識をする。
- 対処法②アレコレ対策を考えるのをやめる。
- 対処法③事が起こってから対処する癖をつける。
- まとめ
「私さえ我慢すればいい」は、おごり。
「私さえ我慢すればいい」という言葉は、一見謙虚です。
謙虚な気持ちで一歩引き、この場が収まればいいという思いからだと思います。
しかし、厳しい言葉を使いますが、
あなたはそんなに他人に影響を与えるような人間といえるでしょうか?
あなたが我慢をしたところで、一瞬はその場が収まるかもしれませんが、モラハラ自体は収まりません。また新たなモラハラを加えられます。
モラハラをするような相手なので、あなたが我慢して受け入れたということにさえ気づきません。
つまり、テレビによく出るような有名人、著名人はまた別ですが、そういった人でない限り、自分の行為はそれほど他人に影響を与えないのです。
逆に、「我慢すればいい」と思っている時点で、他人の言動を変える程の影響力を自分は持ち合わせていると思いこんでいるということです。
これが、驕りです。
「可哀想な私」は、何かを訴える手段として選ばない方がいい。
以前、モラ夫が「強い俺」と「可哀想な俺」を使い分けるという記事を書きました。
www.morarikonhint-sumi11re.com
それと同じで、「可哀想な私」になることで、あなたも理不尽な要求はやめてほしいと暗に訴えているのです。
しかし、「私さえ我慢すればいい」と被害者面しても、モラハラは収まりません。
モラ夫は自分のこと以外どうでもいいので、その訴えにも気づこうともしません。
では、この思い込みを変えるにはどうしたらいいのか、ご提案します。
対処法 ①「可哀想な私」になるのをやめる意識をする。
何か理不尽なことが起こったり、思惑と違うことが起こったりすると、
すぐに「可哀想な私」になろうとする癖があるはずです。
今すぐ、被害者面をするのをやめましょう。
この考えを止めることで、今度は「なぜ自分だけが我慢しなければならないんだ」という終わりのない嫌な気持ちを生み出さずに済みます。
「可哀想な私」になっても、相手には影響力は及ばず、モラ夫にはなお通用しません。
効果のない訴えをしても、あなたが嫌なことを強いられるだけです。
対処法②アレコレ対策を考えるのをやめる。
我慢とかいう問題ではないことまで、被害者面しようとしてしまうこともあるはずです。
モラハラ被害者というのは、基本的には真面目なので、我慢しなければならないようなコトが起こる前に「次はこうしよう」「このように言ったらいいかな」などと対策を練ろうとする方が多いのではないでしょうか?
ヒト対ヒトの出来事には、なかなか予習は通用しないものです。
あなたにもいろいろ意思があるように、他人にも意思があるので、ヒトの言動はなかなか予想通りいきません。
対処法③事が起こってから対処する癖をつける。
予習ができないので、アレコレ考えるのはやめて、事が起こってから対処する癖をつけていきましょう。
その対応が間違いだったとしても、怒る人はどんなときも怒るし、
事情やあなた自体をわかろうとしてくれる人はわかってくれるものです。
モラ夫以外でも、なかなか自分の気持ちをわかってくれる人はいないので、自分がやりたくないことをようなことを要求される場合があります。
そんなときも、
すぐ被害者側になろうとせず!
我慢とかいう問題ではなく!
できることはする。
できないことはできない。
と、ものごとを区別して、引き受けるか判断しましょう。
まとめ
「私さえ我慢すればいい」という考えは、自分が他人の言動を左右する程の影響力を持っているという驕りからくるものです。
我慢して「可哀想な私」になることで、何か訴えようとしても、相手には通用しません。
特に、モラ夫の場合、一般常識から逸脱した考えの持ち主であり、妻の意思が尊重されることはありません。
モラ夫の場合、わざとあなたの嫌がるようなことをさせようと命じてきます。
「できない」理由を説明しても、命じられたことをやらなくても、暴言を吐かれたり、経済的DVが悪化するだけです。
これがモラ夫とは離れるしかないと言われる所以です。
あなたは、他人の言動を左右する程影響力はないかもしれませんが、
忘れてはならないのは、あなた自身はきちんと意思のある、ひとりの大切な人間です。
そもそも「我慢する」という考え自体を捨てた方がいいかもしれません。
モラ夫は別ですが、日常生活において、何か自分の思惑と違うことをやらされそうになった場合、「できる」「できない」の基準で判断して、できるものをできるようにしていきましょう。
少しでも、モラハラ被害者ならではの考えから脱出するための「気づき」になれば、幸いです。